湖畔より

昼でもいい、夜でもいい、なるべく独りになって、できるだけ気づかれないように彷徨うことを好んで行間に潜るあなたの本体を見つける。 あなたは情景を可能な限り具体的に思い出さなければならなかった。 季節は夏で、そこは広い海のように思われたが実際には湖畔だった。 肌を射す強い日差しを受けたヨシが身体を追い越した。 時折、風が強く吹いて、緑色の両側面が細切れにひらいて隙間から向こうがわの景色が見えた。 ひらかれた先には背の低い草花で覆われた色面があり風を受けて連帯していた。 光輝と陰影が織りなすさざなみはあなたに海原を思わせたが、すべては固体の連なりにすぎず潮はどこからも香ってはこなかった。 やがて隙間はとじ、再び道に向き合うことになった。 道はあらかじめ先客に開拓されており、ヨシを掻き分ける運動は必要なかった。 地面は意外にも乾いていて、歩くと荒い豆を挽いているような音がした。 地面を踏み締める感覚を耳で感知していたからか視線は自然と上の方に向いた。 緑と緑のあいだを道の幅のぶんだけ通っている深い青に一点の影が横切った。鳶だった。 鳶は一度ここまで降りてきたが、再び高く上昇し、旋回して緑の隙間に隠れてしまった。 何も起こらないことが正しいと思えたとき、何も語る必要がないように思われたときいずれも あなたの名前が呼ばれることはなく語られることもなかった。 ざり、ざりと歩みを進めたとき、再び風が強く吹いた。 緑色の両側面に再び隙間が見えて、ふわふわとした毛並みの動物が顕になった。 狸だった。あなたの、地面を踏む、ざり、という音が、滑らかで慎重なさらさらとした音に変わった。 狸と向き合ったその一瞬に身体が騒めいたのを覚えていた。 近くで目を合わせようとしても微動せず、目を凝らしてようやく本当の意味で対峙したと知ったときには、 既に心は冷えていた。剥製だった。剥製の狸だった。中身のない清潔な毛皮に包まれた人形だった。
あなたは白衣を身に纏って余分な皮脂を取り除いていた。そこは無機質な作業台だった。 横たわる狸にこれから中身を与えていくところだった。血肉となる紙粘土と綿が両手に握られていた。あなたの名前が呼ばれていた。
わたしたちはそれを液晶越しに見ている。時代遅れのテロップとともに滞りなく流れている映像を見ている。 液晶から視線を横に逸らすと本棚に次いでアクリルケースに入った猪や猿などの剥製が不規則な並びで鎮座しているのを見つける。 それらを見渡し一度視線を落とした先に、今にも駆け出しそうな凛々しい風格でこちらを見据えている一匹と目が合う。 容れ物に不可分なく満たされた冷たい膨らみは、いかにも誰かの役に立つことを求められているように見える。 本体の在処を探し求めている亡霊みたいに、わたしたちは何者かに満たされることに抗いながら、あなたの記憶に近づき血の通った言葉を与えていく。